2018年11月28日水曜日

番外編8 重炭酸ナトリウムによる炎症抑制


「酸性食品・アルカリ性食品」再考・番外編6「慢性腎疾患と食事性酸負荷」において、重炭酸ナトリウム投与によって慢性腎病患者の腎機能の低下が抑えられることを記載しました。そのメカニズムの解明に迫る研究成果が、今年(2018年)の4月に発表されました。今回はこの研究を中心に紹介します。まず、参考にした文献を初めに掲げておきます。

46Ray SC, Baban B, Tucker MA, Seaton AJ, Chang KC, Mannon EC, Sun J, Patel B, Wilson K, Musall JB, Ocasio H, Irsik D, Filosa JA, Sullivan JC, Marshall B, Harris RA, O'Connor PM: Oral NaHCO3 Activates a Splenic Anti-Inflammatory Pathway: Evidence That Cholinergic Signals Are Transmitted via Mesothelial Cells, J Immunol. , 200, 3568-3586 (2018)

47K. J. トレーシー「炎症を治すバイオエレクトロニック医薬」、日経サイエンス、2015 6月号、3642

48.鈴木一博 「自律神経系による炎症の制御」、日本臨床免疫学会会誌、 39 巻、96102頁(2016

49Koopman FA, Chavan SS, Miljko S, Grazio S, Sokolovic S, Schuurman PR, Mehta AD, Levine YA, Faltys M, Zitnik R, Tracey KJ, Tak PP: Vagus nerve stimulation inhibits cytokine production and attenuates disease severity in rheumatoid arthritis, Proc Natl Acad Sci U S A, 113, 8284-8289 (2016)

50Kanzaki G, Puelles VG, Cullen-McEwen LA, Hoy WE, Okabayashi Y, Tsuboi N, Shimizu A, Denton KM, Hughson MD, Yokoo T, Bertram JF: New insights on glomerular hyperfiltration: a Japanese autopsy study, JCI Insight. 2017;2(19):e94334.

51Łoniewski I, Wesson DE: Bicarbonate therapy for prevention of chronic kidney disease progression, Kidney Int. , 85, 529-35 (2014)

私は、この研究のことをNutrition Reviewのホームページで見た記事(https://nutritionreview.org/2018/05/baking-soda-reduces-inflammation-of-rheumatoid-arthritis-other-autoimmune-diseases/)で知りました。米国Augusta UniversityO’Connorの研究グループによるもので、論文がJournal of Immunologyに発表されています(文献46)。その要点は、重炭酸ナトリウムを経口的に摂取すると、脾臓における抗炎症性経路が活性化されるので、重炭酸ナトリウムが炎症性疾患の治療に使えるのではないか、と言うことです。

この研究の動物実験では、高食塩食(8%)で飼育すると高血圧や腎障害を発症するDahl Salt-Sensitive Ratが使われました。0.1M 重炭酸ナトリウム溶液を飲水として飲ませて3日後、食餌を高食塩食に切り替えて2週間たったところで脾臓、血液および腎臓の細胞をフローサイトメトリー法で分析しました。いずれの細胞でも好中球に占めるM1マクロファージ(炎症促進に働く)の割合が減少し、M2マクロファージ(炎症抑制に働く)の割合が増加しました。さらに、制御性T細胞(FOXP3+ CD4+)の増加が認められました。これらの変化は免疫系が炎症抑制的に働くことを示します。また、同じ系統のラットに病的でない状態(低食塩食(0.4%))で0.1M 重炭酸ナトリウム溶液を3日間飲ませても、腎臓におけるM2マクロファージの割合の増加が観察されました。そして研究者たちは、ヒトを対象とした研究でも、20代の健常者に重炭酸ナトリウム2 gを水250 mLに溶かした液を飲んでもらい、血液中の好中球に占めるM1マクロファージとM2マクロファージの割合を調べて、それらが時間のオーダーでラットの実験と同様に炎症抑制的に変動することを観察しました。
1.脾臓表面の中皮に連結する中皮細胞性の組織。両面を中皮細胞で覆われた膠質性組織が脾臓の中皮に連結している様子を示す。肉眼では見えないが、弱拡大の顕微鏡で観察できる。文献46の顕微鏡写真を模式化した。


                        
 この重炭酸ナトリウムの効果はいろいろな臓器で観察されることから全身性です。この効果は、脾臓を摘出したラットでは認められなくなるので、脾臓を介することが判明しました。脾臓の表面は中皮で覆われています。研究者たちは、脾臓の中皮に、両面を中皮細胞で覆われた膠質性組織が連結していることを発見しました(図1)。そして、この組織の中皮細胞や連結部周辺の脾臓表面の中皮細胞がコリンエステラーゼを持つ神経様細胞であることを明らかにしました。さらに、重炭酸ナトリウムの効果がα7-ニコチン性アセチルコリン受容体の特異的な阻害剤で無くなることから、この神経様の中皮細胞が脾臓にコリン作動性のシグナルを伝えて炎症の抑制をもたらすと考えました。中皮細胞性の組織の連結は非常に脆弱で、ラットを開腹してわずかに脾臓を動かすだけで破壊されて、重炭酸ナトリウムの効果が認められなくなります。

 また、重炭酸ナトリウムの免疫抑制効果は、胃酸の分泌に関与するプロトンポンプ阻害薬によって抑制されます。これは、免疫抑制の経路に胃酸分泌が介在することを意味します。胃酸分泌の結果起きる、体液の酸塩基平衡の調節に係わる何らかの因子が、中皮細胞性の組織に信号を送る可能性がありますが、詳細は不明です。

2.コリン作動性抗炎症経路。説明は本文参照。


ところで、脾臓を介する炎症抑制作用については、近年の神経系による免疫制御の研究によって明らかにされています(文献47, 48)。それは、迷⾛神経が中心的に働く「コリン作動性抗炎症経路(cholinergic anti-inflammatory pathway)」と呼ばれる機構です(図2)。脾臓は迷走神経の支配を受けており、その興奮によって節後線維(脾神経)の神経終末からノルアドレナリン(副交感神経は原則コリン作動性であるが例外的に)が放出され、ノルアドレナリンはCD4T細胞からのアセチルコリンの産生を促進します。そして、この経路の終点で、アセチルコリンがマクロファージ上のα7-ニコチン性アセチルコリン受容体(α7nAchR)に結合すると、炎症性サイトカインの産生が抑制されます。その結果、抗炎症作⽤が発揮されるというのがこの経路の全貌です。最近、迷走神経刺激による抗炎症作用を使って炎症性疾患を治療しようとする試みが進んでいます。迷走神経刺激療法(頸部に埋め込んだ装置で迷走神経を刺激する)を受けているてんかん患者に被検者になってもらい、電気刺激を与えて4時間後の血液を調べると、エンドトキシンで誘導される炎症性サイトカイン(TNFIL-1βおよび IL-6)の産生が抑制されました。そして、関節リウマチ患者の迷走神経に電気刺激を与えると、病状が改善されました。O’Connorらの研究は、この経路とは別に、中皮細胞性の組織を介するコリン作動性のシグナルによって炎症抑制が起きるというものです。重炭酸ナトリウムの経口投与がCKDの重症化を抑制するという研究がありますが、O’Connorらはこのメカニズムを免疫との関係で追及したわけです。関節リウマチのような自己免疫疾患の治療に重炭酸ナトリウム投与が有効かどうかは今後の課題です。

話は変わりますが、日本人のCKDとの関係で見過ごすことのできない研究発表が昨年あったので、ここで触れておきます。それによると、⽇本⼈の腎臓は欧⽶⼈に比べてネフロン数が少ないと言うことです(文献39)。健康な⽇本人は腎臓1個当たりのネフロン数が平均64万個で、欧米人(ドイツ人, 140万個; アメリカ白人, 90万個; アメリカ黒人, 95万個)と比べ大幅に少ないです。このことが、世界的にみて日本でCKD患者が多い事実と関係しそうです。

番外編5「酸負荷で骨が弱くなるか」において、食事による腎臓への酸負荷と骨密度との関連性を調査した米国の疫学研究(文献31)を紹介しました。結論は、概して高齢者でも食事性酸負荷が骨密度の低下と関係しないけれど、男性高齢者では酸負荷の悪影響が認められたと言うことでした。⽇本⼈の腎臓はネフロン数が少ないという知見は、我が国の高齢者は食事性酸負荷の影響を受けやすいことを意味し、酸負荷の少ない食事を摂るのが望ましいと考えられます。

(後記)CKDの実験動物モデルで、重炭酸ナトリウムの経口摂取によって望ましい結果が得られたという報告がいくつかあります(文献51)が、OConnorらの研究で、高食塩食で飼育したDahl Salt-Sensitive Ratについて、重炭酸ナトリウムの腎機能への影響が調べられていないのが残念です。延命効果があるか否かを知りたいところです。

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