以前に「酸性食品・アルカリ性食品」を話題にした折に、同僚の先生から「多量の胃酸が分泌されるので、食事による酸塩基の影響は現れないのではないか」という疑問を聞いたことがあります。今回は、この疑問に答えようと思います。
1.胃酸とRemerとManzの仮説
基礎栄養学のある教科書によれば、胃液は1日に0.5~1.5 L分泌され、pHが1.5~2です。仮にpH 2の胃液1 Lには、10 mEqの H+が含まれます。一方、食事性の酸負荷は、消化管から体内に吸収された食物由来の無機非金属陰イオン( Cl-+ Pi1.8-+ SO42- )の当量から無機金属陽イオン(Na+ + K+ + Ca2+ +
Mg2+) の当量を差し引いた値で示されます(「酸性食品・アルカリ性食品」再考(その3)参照)。 その値(1日当たり)は、ミネラル代謝が動的平衡状態にあれば、1日に尿に排泄された各イオンの当量から求めることができます。これをRemerとManzの食事介入研究の尿のデータ((その3)で示した文献4)から読み取ると、低たんぱく食の人で-34.3 mEq、適量たんぱく食の人で9.8 mEq、高たんぱく食の人で76.4mEqです。食事性の酸負荷量は、たんぱく質の摂取量によってこのように大きく変動しますが、胃酸の産生による血液への塩基負荷量は10 mEq位なので、食事による変動幅の方が大きいです。しかし、10 mEq位と言う値は無視できない大きさなので、胃酸が腸に移行してから正確に中和されないと、ミネラル代謝の動的平衡が維持されなくなります。実際は、中和が適切に行われるので、問題は起きません。
2.胃酸の中和
体液の酸塩基平衡を考えるうえで、胃酸の中和は大切な問題なので、胃酸の生成および膵液や胆汁に含まれる塩基(HCO3-)の生成も含めて全体像を見てみようと思います。食事による酸負荷は、消化管から体内に吸収された食物由来のミネラルに起因します。一方、胃酸の中和は消化管の中のことで、胃酸が混じった胃の内容物が、十二指腸に移行し、アルカリ性の膵液と胆汁によって中和されます。胃酸が生成されるときには、胃からHCO3-が血液中に入り、膵液や胆汁の生成時には、H+が血液中に入って、血液の酸塩基平衡に影響を与えます。それ故、胃酸を中和するのに適量の膵液と胆汁が作られねばなりません。つまり、胃で生成されるH Clの当量と腸管に分泌される膵液・胆汁中のHCO3- の当量が等しくなる必要があります。 そうでないと、ミネラル代謝の動的平衡が保たれないので、( Cl-+ Pi1.8-+ SO42- )-(Na+ + K+ + Ca2+ + Mg2+)によって求められるイオン当量で食事性の酸塩基負荷を考えることができなくなります。実際はそのようなことはなく、RemerとManzの食事介入研究((その3)で示した文献4)で、尿への酸排泄量NAEと( Cl-+ Pi1.8-+ SO42-+ OA )-(Na+ + K+ + Ca2+ +
Mg2+)の実測値とがほぼ一致するという結果が得られました。これは、我われの体が胃酸の中和を厳密に行っているからです。
図7.胃酸の分泌と中和。
十二指腸に送り込まれた胃内容物のHClは膵液・胆汁のNaHCO3 によって中和されます。その結果NaClとH2CO3が生成し、H2CO3からCO2ができます。そして、NaClとCO2は腸管から吸収されて血液に取り込まれ、CO2はさらにH2Oと反応してHCO3-とH+を生じるので、消化管に分泌されたHClとNaHCO3が血中に戻ったことになります。
胃でH+ができるときには、血液からCO2が壁細胞に取り込まれ、HCO3-が血液に送り出されます。また、膵臓や肝臓でHCO3-ができるときには、CO2が導管細胞や胆管細胞に取り込まれ、H+が血液に移行します。このH+はHCO3-と反応してH2CO3になるので、結果的に血液のHCO3-が減少することになります。
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次に、胃酸の中和がどのように行われ、体液の酸塩基平衡がどのように保たれるかを見てみましょう(図7)。胃の内容物が十二指腸に移行する際、一度に多量流れ込まないような仕組みになっています。少量が十二指腸に送り込まれた後、幽門は閉じられます。胃内容物に含まれるHClによって十二指腸の管腔内が酸性(pH<4.5)になると、十二指腸粘膜にあるS細胞からセクレチンが分泌されます。セクレチンは膵臓の外分泌腺の導管細胞や微小胆管や胆管の細胞に作用しNaHCO3 に富む膵液や胆汁の分泌を促進します。そして、NaHCO3 によってHClが中和されます。セクレチンには、胃を弛緩させて胃内容物が十二指腸に流入しないようにする作用もあります。十二指腸の内容物のpHが4.5を超えるとセクレチンの分泌が止まり、その作用がなくなります(セクレチンの血液中の半減期は約5分)。続いて、胃の内容物が十二指腸に入ってくると、再び同じ過程が繰り返されます。中和の様子は、小出しに十二指腸に送り込まれた胃内容物のHClを膵液・胆汁のNaHCO3 によって「滴定」をしているイメージです。中和の結果NaClおよびH2CO3が生成し、H2CO3からCO2とH2Oができます。そして、NaClとCO2は腸管から吸収されて血液に取り込まれ、CO2はH2Oと反応してHCO3-とH+を生じます。したがって、消化管に分泌されたHClとNaHCO3が血中に戻ったことになるので、酸塩基の恒常性が保たれたことになります。
参考図書
1)W. F. ボロン/E. L. ブールペープ 編「カラー版 ボロン ブールペープ 生理学」 (泉井 亮 総監訳、 河南 洋、久保川学 監訳)、西村書店、東京、 2011
「41章 胃の機能」と「42章 膵腺と唾液腺」を参考にしました。
2)奥 恒行/柴田 克己編集「健康・栄養学科シリーズ 基礎栄養学 改訂第2版」南江堂、東京、2008
「5章 消化・吸収と栄養素の体内動態」を参考にしました。
十二指腸の内腔の酸性化とセクレチン分泌に関する研究は、1978年に複数の研究グループによって発表されています。被験者は、pH メーターを先端に取り付けた十二指腸チューブを口から挿入されて2時間余り寝かされ、また、血漿セクレチン濃度の測定のために2~10分間隔で採血されました。過酷な条件下での研究によって、本文に述べたような事実が解明されました。微量のホルモンがラジオイムノアッセイで測れるようになった頃の研究です。
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